春の七草についてこんな歌があります。
「せりなずなごぎょうはこべらほとけのざ すずなすずしろこれぞななくさ」
大人であれば一度は耳にしたこともあるかもしれません。
この歌は平安時代の四辻善成という人が読んだということになっていますが、はっきりとは解明されていないようです。
春の七草と対比されることも多い秋の七草。
万葉集の中で、山上憶良が詠んだ歌にちなんで選ばれたとされています。
秋の節句に、七草を食すという風習はありませんが、昔から様々な和歌に詠まれてきました。
食して楽しむ春の七草、目で楽しむ秋の七草をご紹介します。
百人一首にも!春の七草の代表的な和歌と意味。七草は「若菜」と表現される。
山部赤人は奈良時代の歌人です。万葉集にも50首ほど載っています。
彼が詠んだ春の七草の歌です。
明日からは 若菜つまむと 標(し)めし野に
きのふもけふも 雪は降りつつ
訳によっては「明日よりは」としたり、「若菜」を「春菜」としたりと違いがあります。
現代語訳:明日は朝から新年の若菜摘みをしようと思ったのに、しるしをつけておいた野には昨日も今日も雪が降っている。
この歌に七草は出てこないと思ったあなた。実は、この「若菜」こそが春の七草です。
1月7日に七草を食べる習慣は奈良時代からありましたが、鎌倉時代頃までは、七草の種類が定まっていませんでした。平安時代には12種類も食していた、ともいわれています。
新春の若菜摘みは日本古来の風習。七種類の若菜を入れたスープを飲むのは中国からの風習でした。
「明日」は古語では「翌朝」という意味があります。
この歌は多くが「翌日」という意味の「明日」と訳されていますが、私は「明日の朝」という意味に解釈した方がより一層素敵な気がします。
昨日も今日も雪が降ってるというところで「あ~あ」という残念な気持ちを感じませんか?
「標めし野(しめしの)」とは、しるしをつけておいた場所とも、出入りを禁止するために杭を打ったり縄を張ったりした領地、とも訳されます。
出入り禁止の区域にそっと摘みに行こうと思ったのに、とも訳せますね。
どちらにしても、若菜摘みを楽しみにしていた気持ちが表れています。
ところで、「若菜」と聞いて有名な歌を思い出しませんか?平安時代の和歌です。
君がため 春の野に出でて 若菜つむ
わが衣手に 雪はふりつつ
<光孝天皇>
現代語訳:きみにあげようと思って若菜を摘む、私の着物の袖には雪がふり続いている。
百人一首にも、七草と同じ意味で若菜摘みが詠まれています。
そして注目したいのが、
しづの女が 年とともにも つむものは
春の七日の 若菜なりけり
<慈円>
「しづの女」とは常民の女性。身分の低い女性とも訳されますが、庶民のことですね。
「年とともにも」は年をとってもなお、というような意味。
女性は年をとってもなお、家族のために七草の節句の若菜を摘んでいる、という様を詠んでいます。
慈円は平安時代末期から鎌倉時代を生きた人物です。この歌から七草の食習慣は、庶民の間にも浸透していたことがわかります。
ちなみに慈円の歌は、百人一首にも選ばれています。
おほけなく うき世の民に おほふかな
わがたつ杣に 墨染めの袖
気になる!春の七草の正しい順番は?実は歌に出てくるだけで順番はない!
春の七草に順番はありません。しかし、先に紹介したように四辻善成左大臣が有名な歌を残したことで、春の七草に順番があると思っている人が多いようです。
NHKのEテレで放送されている「にほんごであそぼ」という番組の影響も大きいのかもしれません。
子供たちも、これで春の七草を完璧に覚えてしまうそうですよ。
YouTubeを観ると、テンポの良い歌も作られています。
中毒性のある歌もいくつかありますね。
覚えるポイントは、日本人の口になじみやすい3や、5と7のリズムに乗せることです。
それが和歌のリズムに気持ちよく乗るため、簡単に覚えられているということですね。
美しい!春の七草の漢字と由来。あなたはいくつ知っている?
今はスーパーでも揃う春の七草ですが、私たちの身近に生えていることを知っていますか?
せり
「芹」と書きます。
1か所から競り合って生えていることからこの名が付いたと言われています。
芹は田んぼや湿地、空き地にもよく生えています。
地下茎が地面を覆うように生え、多年草で繁殖力も強いので厄介な雑草として持て余されていることも。
冬でも枯れなかったので、昔は重宝していたのかもしれません。
なずな
「薺(https://www.kanjipedia.jp/kanji/0003933200)」と書きます。
ぺんぺん草のことです。三味線草とも呼ばれます。
小さいハート型の葉っぱが可愛らしく、畑や土手など至るところによく生えています。
なずなという名前は「愛でる菜」から「撫で菜」になり「なずな」になったという説も。
または、早春に開花して夏を迎える前に枯れてしまうことから「夏無き菜」の夏無で変化したという説もあります。
花言葉は「あなたに全てをお任せします」
なんというか、健気ですね。
ごぎょう
ははこ草とも呼ばれます。
ごぎょうは「御形」と書きます。「御」は丁寧な意味を持つ接頭辞で、「形」は人形(ひとがた)のこと。
厄除けのために「御行(おぎょう・ごぎょう)」と呼ばれる人形を川に流す、という雛祭りの古い習慣がありました。
この時に供えられる「母子餅」にこの草が使われたことから「御形(ごぎょう)」と呼ばれるようになったとされています。
やはり、道端や畑などによく見られる草です。
はこべら
ハコベという名前の方が一般的です。
「繁縷(https://www.kanjipedia.jp/search?k=%E7%B9%81%E7%B8%B7&wt=1&sk=leftHand)」と書きます。
中国語の漢字をそのまま当てて、はこべと読ませたようです。
日本古来の名前は「波久部良(ハクベラ)」といったようですが、これが転化してはこべとなったようです。
小さな白い花が可愛らしく、やはりそこかしこに生えています。
食用植物として昔から使われていただけでなく、小鳥やウサギのおやつなどにも馴染みがありますね。
ほとけのざ
春の七草でのほとけのざとは「コオニタビラコ」というキク科の植物のことです。
初春の水田で、ロゼット葉を広げて地面にはっている姿から「仏の座」と付いたようですが、現在の「ホトケノザ」の名前はコオニタビラコではないシソ科の植物に与えられました。
このコオニタビラコは、似ている植物がいくつかあります。
ムラサキケマンもそのひとつ。コオニタビラコは、密が甘いということが有名で、小さな花の根元をちょっと吸うと甘い蜜が吸えるのです。
しかし、ムラサキケマンは毒があります。花の咲く時期も近いので、間違って吸うことのないようご注意ください。
すずな
かぶのことです。
「すずな」の由来は、根の形が鈴に似ているという説が有力です。「鈴菜」と書くように根ではなく、葉のことを指します。
「蕪(かぶ)」の由来は、弓矢の先に付ける鏑(かぶら)に形が似ているからという説もありますが、頭を意味する「かぶり」や根を意味する「株」など諸説あります。
すずしろ
だいこんのことです。
根茎部分が白いので漢字で「清白(すずしろ)」と付けられたという由来があります。
だいこんは、「オオネ」とも呼ばれ、その字の通り「大きな根」から取られました。ダイコンはその音読みに基づいて呼ばれるようになりました。
大根の花言葉は「潔白」「適応力」。土壌の適応力が高いために、この花言葉が付けられたのではないか、という説があります。
秋の七草の和歌がことさら美しい理由。秋の情景とともに切なさや恋しさを詠むから。
秋の七草は、万葉集に登場する2首
秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり)
かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花
女郎花 また藤袴 朝貌(あさがお)の花
ともに山上憶良の歌に由来するといわれています。
アサガオについては桔梗のことを「あさがほ」ということから、桔梗の花を秋の七草に数えるようになりました。
覚え方も、山上憶良の歌の順番に「5、7、5」にリズムを刻むと覚えやすいかもしれません。
「ハギ・キキョウ クズ・フジバカマ オミナエシ オバナ・ナデシコ 秋の七草」
尾花とはススキのことです。尾花をすすきに置き換えて歌うことも出来ます。
「萩・すすき・桔梗・撫子・おみなえし・葛・藤袴、これぞ七草」
万葉集では萩の花が特に詠まれています。
伊香山 野辺に咲きたる 萩見れば
君が家なる 尾花し思ほゆ
<笠金村(かさのかなむら)>
現代語訳:伊香山の野に咲いている萩を見たら、あなたの家に咲いていた尾花のことが思い出されます
帰り来て 見むと思ひし 我が宿の
秋萩すすき 散りにけむかも
<秦田麻呂(はたのまろ)>
現代語訳:帰ったら見ようと思っている私の家の萩やススキはもう散ってしまっただろうか
そして秋の七草の出てくる有名な歌と言えば、これではないでしょうか。
吾木香 すすきかるかや 秋くさの
さびしききはみ 君におくらむ
<若山牧水>
ワレモコウ、すすき、かるかや。すべて華やかとは言えない秋の草花です。
「あなたに会えない寂しさを、秋の中でもことにさびしいこの草花を花束にして贈りましょう」というせつない恋の気持ちを歌っています。
葛の花 踏みしだかれて 色あたらし
この山道を 行きし人あり
<釈迢空>
現代語訳:踏みにじられてまだ間もない葛の花を見て、この山道を通った人がいるのだな。
少し人恋しい気持ちが歌われています。
野分すぎて 寂びたる庭に 薄の穂
うすくれなゐに いでそめしころ
<斉藤茂吉>
台風が過ぎて さびれた庭にススキの穂の淡い色が出始めている、というような意味でしょうか。ススキの穂の色は尾花色と言われますが、茂吉にはごくごく淡い紅色にも見えたのかもしれません。
ひさかたの 天より露の 降りたるか
一夜のうちに 萩が花咲く
<斉藤茂吉>
「ひさかたの」は「天」にかかる枕詞ですね。空から露が降ったのか、一晩のうちに萩の花が咲いたと詠んでいます。
春の七草と違って、節句に秋の七草を揃えて使う風習はありません。
紅葉と同じで季節を味わうものです。
そんなルールがないことから、「新 秋の七草」が選ばれることになったのかもしれません。
葉鶏頭(はげいとう)
秋桜(コスモス)
彼岸花(ひがんばな)
赤まんま(あかまんま)
菊(きく)
おしろい花(おしろいばな)
秋海棠(しゅうかいどう)
昭和10年、毎日新聞社の前身である東京日々新聞社が、著名人に1つずつ挙げてもらい制定したものです。
まとめ
現代の歌人、神谷由里さんは「菜の花」の中でこんな歌を詠んでいました。
二トン車より
抜きしタイヤを
つみてゆく
はこべなづなの
花咲く傍(かた)へ
神谷さんのご主人は自動車販売整備業を営んでおり、その関わりから生まれた歌なのでしょう。
はこべが、日常のありふれた風景に溶け込んでいます。
きっとはこべは、タイヤに積まれ押しつぶされても、来年花を咲かせるでしょう。
春の七草の歴史を思う時、平安時代から、もしかしたらもっと昔から、粛々と生きてきた植物の強さを感じませんか?
きっとこれからも春の七草たちは、野山や道端、田んぼあるいは畑で育っていくのでしょう。
1月7日に七草粥を食べる習慣には、そんな若菜から力をもらって力強く生きていく意味が込められています。
秋の七草には、春や夏の華やかさとはまた違う楚々とした風情があります。
風も涼しくなって、少しさびしく感じる人もいるかもしれません。
しかしその中にやはり、これから迎える冬を前にした植物のひたむきな強さも感じませんか。