まみのプロフィール -私がブログを書いている理由-

こども期

経営者の父、専業主婦の母の元で育ちました。

母は元教師で、とても教育熱心でした。

小学校に入る前から英語のカードを見せて答えさせられていて
10枚ほどあるカードの中でどうしても「sky」と「sea」の見分けがつかず、
母にガチギレされ、泣きながら答えていたのを今でも覚えています。

幼少期、我が家では、父は「ほとんど家にいない人」。

母はいろんなところへ連れて行ってくれ、いろんなことを教えてくれました。
「I’m proud of you.(あなたたちを誇りに思ってるわ)」というのが口癖でした。

素敵なボタンなどを集めていたり、
「ママはお裁縫は苦手なの~」と言いながらとっても可愛いエプロンを
ミシンで作ってくれる母が大好きで、
「私もこんな風に子供にエプロンを作ってあげるお母さんになりたい」
と子供ながらに憧れを抱きました。

小学校中学年のとき、母は父とは別の仕事(塾)を始めました。

初めは自分の子供と、声をかけて集まってくれた数人の友人の子供からスタートしたのですが、母にとって教えることは天職だったようです。

母は塾に通ってくれた子たちの教育にも熱心で、
どんどん実績を積み上げていき、
母の塾の子供たちは私も含め新聞に掲載されるようになっていきました。

それと同じくして、塾は巨大化。
母だけでは回せなくなり、人を雇ったりするくらいの大きな教室になりました。

中高生時代

中高生くらいから母に言われ始めたのは「自分で稼げる人になりなさい」ということ。

言った本人は覚えていないと思いますが
「夫の稼ぎで暮らすなんて、寄生虫のやることよ。寄生虫になりたいの?」
なんて言われたこともあります。強烈な母親です。

母は「頑張らないと、乞食になるしかないのよ」とよく言っていましたが、
ぼやっと生きていた私には、
勉強することがどう収入に結びつくのか、どうして頑張らないとホームレスになるのか、
よく分かりませんでした。
きっと他の生徒さんたちもピンと来ない人はたくさんいたんじゃないかなと思います。

母が幼少期は、外で寝泊まりしている人がたくさんいたようですが、
私の幼少期にはそんな人は既にいなかったので、ピンと来なくても当然です。

負けず嫌いで、母のスパルタ教育を受けていた私は、進学校と呼ばれる高校に合格します。

なんのために勉強するかもよく分かっていないボケボケ人間なので、
高校時代はずっと低空飛行。
友人もろとも定期テストの日程も分かっていないような劣等生でした。

夢はお嫁さん昔、憧れた母のイメージがありました。

ですが、相手もいないし、全員大学へ行くような環境の高校です。

親に「家にはお金がないので、国立大学しか認めません。浪人はなし。私立も基本NG。」
と言われ、素直に信じた私は、なんとか自分がギリギリ受かる大学へ。

大学時代

興味もない学部に入ってしまったため、地獄の4年間でした。

結婚したいと思えるような彼氏には出会えず、そのまま就職することになります。

飲食店のバイトや家庭教師に明け暮れる日々でした。

社会人時代

仕事に選んだのは塾。

小学生の頃は本が嫌いな友人に読み聞かせをしたり、
中学生の頃は5科目すべてを足して2桁しか取れない友人の家庭教師(無償)をして
250点くらいに点数を上げさせたりと、
母の背中を見ていたからか
人に教えることは呼吸していることと同じようなことだった私。

途中、転職していたりもするのですが、
大学時代の家庭教師も含めると、ざっくり10年ほどは働いたでしょうか。

異業種交流会に行ったりしたこともありますが「塾の先生をやっています」と言うと、
変な空気になったことが何度もありました(大概は私より学歴が低い男性でした)。

かなり変わった塾だったのかもしれませんが、
毎週、そして毎月、更には毎年、正社員全員の中での順位がつけられていました。
アルバイトの先生を含んだ順位も、別に出されていました。
順位によって、ボーナス支給額が変わるし、
あまり下位にいると本社に呼び出され怒られます。
まぁどちらかと言うと上の方にいたので、私が呼び出されることはありませんでしたが・・・。

働き始めの頃は「そんなことも分からないならやめてしまえ!」
と先輩に怒られたりして、トイレでこっそり泣いたこともありましたが、
かなり刺激的で楽しかったです。

子供たちも可愛かったし、
保護者の方に信用していただけて任せていただけるのが
本当にやりがいもあったし、一生懸命やりました。

私は結婚もしてなかったし子供も当然いなかったので、
子供に勉強を教えるプロではあったけど、常に保護者の方へのリスペクトは持っていました。
特にお母さんと接することが多かったので
「人生の先輩であるお母さんに私のような若輩者が物を言うのはおこがましいのですが・・・」
という気持ちは常に持って仕事をしてきました。
だからこそ母になる憧れも強かったです。

上司に恵まれたのも大きかった。
色んな上司の元で働きましたが、
「一流の仕事とは、こういうものだよ」と教えてくれた上司がいて、
特にその方には今でも感謝しています。

運命の出会い、そして結婚

楽しかった職場でしたが、
「もうそろそろ人の子供を育てている場合じゃない。
私も自分の子供が欲しい。自分の子供を育てたい。」
と思った頃に出会ったのが、今の夫です。

私のひとめぼれに近い出会いでした。

私、どちらかと言うとモテてきたんです。
異業種交流会ではダメなこともありましたけど。

だから「得意料理って何?」って聞いてくる男性が嫌いでした。

(えっ・・・それって料理が出来るか聞いてるのかな・・・)って思っていました。

だから、特に仲良くなりたいと思わなければ
「たまごかけご飯は上手に作れるよ♪」なんて返答する嫌な女でした。
まぁ、気を持たせるのも良くないですしね。

そんな私が不思議なことに、夫に初めて会った瞬間に
「私、この人にご飯を作ってあげたい!」と思ったんです。
ご縁ってあるんだなぁって思います。

夫が私に「得意料理は何ですか?」と聞いてくることはありませんでしたが、
偶然なのか、必然なのか、夫は料理をほぼしたことがありませんでした。
しかも結婚してから分かったのですが、料理を作るのが嫌い。
人生の無駄なことの1つと思っているようです。なんてこった!

でも、飽き性の私が今のところ嫌になることもなく、
毎食どころかお弁当まで毎日作っているので、
やはり運命だったのかなと思ったりします。

結婚生活と退職

私は専業主婦になりたかったわけではないので、
結婚するときに「私が働きたいときには働くけどいいよね?」と確認して結婚しました。
夫も「子供が小さい頃は家にいて欲しいけど、育ってきたらいいと思う」と言いました。

私も小学校低学年までは母が専業主婦をしてくれていて嬉しかったし、
小学校中学年で塾を始めて、それまで当たり前だと思っていた
母が家でおかえりと言ってくれる生活が当たり前ではないのを知って
良かったなと思ったので、小学校くらいから働き始めるのでいいかなと思いました。

結婚と同時に、働く日数を減らして欲しいという夫の要望で、勤務日数を減らすことに。

結婚してからしばらく経って、夫の転勤が決まりました。そして妊娠が発覚。仕事は退職。

妊娠

私、病院って嫌いなんです。注射も嫌い。採血も嫌い。痛いことはとにかく嫌い。

しかも、入院したことないんです。
体も丈夫なのか、倒れたこともないし、
けがをして病院に行ったこともないんです。

病院とは無縁の生活を送ってきた私。

それなのに妊婦さんって検診が何度もあって、
採血も何度もあるし、経膣エコーもあるし、
「何回痛い目にあえばいいんですかっ!?」って言うくらい、大変ですよね。

つわりはすぐやってきたので、
「人生でこんなに体調が悪いの、経験したことない。エンドレス船酔い?
いつ終わるの?早く、船から降ろして・・・」と毎日インターネット検索(笑)

妊娠中は、マイナートラブルは常につきまとうし。

あとね、妊娠って、まず妊娠したかドキドキして、
家で使える妊娠検査薬で陽性反応が出たら今度は正常な妊娠かどうか心配して、
正常な妊娠だったら今度は心拍が聞こえるようになるまで心配して、
心拍が聞こえたら流産しないか心配して、
早産しないか心配して、
出産の痛みや健康な子供が生まれてくれるかどうかを心配して、、、
9~10ヵ月もの間心配し続ける生活が続きます。

そして出産したら出産したでまた赤ちゃんの心配は続きます。
表に出すかどうかはさておき、心の中での心配はきっと一生続くんでしょうね。

私は妊娠中に引越しをして、新居では大きいお腹を抱えながらの生活もし、
引越先の市町村は産婦人科医不足が深刻で、
産もうと思っていた産院の医師の対応がひどすぎて、急遽里帰り出産を敢行。
「こんなところで産みたくない!怖すぎる!」と思ったのが
ギリギリ里帰り出産が可能な時期で、
間に合って良かったけど、切迫早産も経験しました。

親のことは好きなのですが、実家の環境が好きではなく、
退院の日に新居に戻り、自分の家で新生児を育てました。

私は超安産だったので蓋をあけたら出産も大したことはなかったし、
出産後も比較的早く回復したのですが、それでも
「子供産むのって、こんなに大変なの?!世の中のお母さん、偉すぎない?!」
って思いました。

熱くなっちゃいました・・・💦

とにかくずっと憧れ続けていた「お母さん」に私もとうとうなれました。

ところがこれが地獄の始まりでした。

死の恐怖

おそらく、私にとって出産はゴールだったようなんです。

「結婚がゴール」だと勘違いしている女性ってたまにいますね。
結婚すれば幸せになれるって思いこんでる女性。私は嫌いなタイプですが。

ですが、まさか自分にとって「出産がゴール」になっていたとは思いもよりませんでした。

ずっと憧れていた「お母さん」になれた瞬間に私の糸が切れてしまったようです。

転勤先には友人もいませんでした。
(息子が4ヶ月になった頃に、ママ友を作りに出かけ、
月1回ほど一緒に遊ぶ友達が出来たのですが、コロナの影響で会えなくなったりしました。)

毎日おむつを替え、授乳をし、寝て、食べて、料理をして、洗濯をして、を繰り返す生活。

病んでるわけではないのですが、毎日「死」について考えるようになりました。
「死にたい」ではなく、
「死ぬの、怖いなぁ。」「このまま、私、死んでいくのかな・・・」
「100年後には私は地球にはいないんだよね」こんな感じです。

毎日毎日ループのように、死への恐怖を考えるようになってしまった私は、
「こんなことばかり考えていたら、ちょっとずつ病んでしまう!何かしなければ!」
と思い立ちます。

人の役に立つことがしたい

「人の役に立つようなことがしたい」と思ったときに
一番初めに思いついたのは自分の妊娠時期~出産の体験談を書くことでした。

「自分が安産だったのは、体質もあるだろうけど、
インターネットや雑誌を調べまくって、
いかに安産に産むかを考え続けていたからだ。
きっと私のように出産が怖いと思っている妊婦さんはいるはず。
私の体験談やオススメ方法を読んで、妊婦さんの不安がちょっとでも軽減されて、
出産が楽しみになってもらえたらいいな」と思いました。

その時点で息子は月齢6ヶ月。ちょうど離乳食を始めたところ。
ベビーサークルなども活用し始めた頃。同時に出産のことはどんどん忘れて行っています。

それに、専業主婦になって分かったのは「お買い物に失敗できない」ということ。

自分が稼いだお金で物を買っていた時代は、
自分で稼いだお金なので「もし合わなければ捨てればいい」と思っていました。
ですが、夫が稼いできたお金となるとやはりそうはいかないのが人間の性。

特に夫は買い物も嫌いだし、捨てるのも嫌い。無駄な買い物は本当に嫌いなんです。

我が家では、お買い物をするときにその場で即決するということはまずありません。
吟味に吟味を重ねて、何度も家族会議(夫と私で)をして、決定します。
ただのケチとも言えるのですが、お買い物に対してすごく慎重な家です。
ですので、失敗もあまりない。

それなら、出産に関しての記事を書くのもいいけど、
出産後ってすぐ働かずに家にいるお母さんも多いはずだし、
私の様に収入がなくなったとすると、お買い物で失敗したくないママは多いはず!
じゃあお買い物で失敗したくないママに向けて記事を書くのも人の役に立てるのではないか、
と思って、我が家のオススメ商品のレビュー・感想を書き始めました。

私は人に何かをオススメしたり、こうやってやると家事育児が楽だよとかアドバイスして
「参考になった!」「教えてくれてありがとう!」と言われることが嬉しい人間のようです。
だから、このサイトの基本コンセプトは
リアルなママ友に何かをオススメするときのように、ダメだと思う部分も包み隠さず書く」こと。

今は本当に幸せです。

毎日「次はどんな記事を書こう」と考えることにわくわくします。

今は検索してきてくれる人がそんなにいないので、
ツイッターでお知らせした時に読んでくれる人が多いのですが
(ブックマークしていて、遊びに来てくれる人もいるみたい)、
「ためになった!」と言われると本当に嬉しい。
検索でたくさんの人に来てもらえるようになることが今の夢です。

これからも息子と一緒に成長していきたいなと思います。

こんなに長い私の身の上話を読んでくださった方、ありがとうございました。

どうぞこれからもよろしくお願いします。

まみ 2020年7月12日


追記 2020年9月6日

お陰様で、検索で遊びに来てもらえるようになってきました。

2ヵ月の間にこんなに変わるのかとびっくりですが、
これから先も、読んでくださった方のためになる記事をお届けしたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

まみ

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